トイレの中心で頭を悩ませる
アジアへ出かけるようになってから、しばらくトイレにはまった。はまったといっても、そのはまったではない。関心をもった、ということである。トイレは私たちの生活と切っても切れない関係にある。だから、その様式の違いが実に面白い。
今や私たちの生活に欠かせないウォシュレット。私のウォシュレット初体験の場所は、実は日本ではない。フィリピンである。しかも、2種類のウォシュレットを体験してしまった。
学生時代、上総掘りという日本古来の井戸掘り技術で井戸を掘る活動のため、年に2,3回フィリピンを訪問していた。その活動に注力するため、大学2年を終えた二十歳の年には大学を休学した。数年前に東大がはじめたギャップイヤーみたいなものである。東大では「初年次長期自主活動プログラム」といって、少し長いが引用すると「入学した直後の学部学生が、自ら申請して1年間の特別休学期間を取得したうえで、自らの選択に基づき、東京大学以外の場において、ボランティア活動や就業体験活動、国際交流活動など、長期間にわたる社会体験活動を行い、そのことを通じて自らを成長させる、自己教育のための仕組み」を導入しているらしい。今から思えば、学生時代は春と夏に2か月以上の長い休みがあったので、ギャップイヤーならぬ、ギャップマンスの連続だったといえる。私の場合はそれに加え、記念すべき成人1年目をギャップイヤーとして堪能したというわけである。
前置きが長くなったが、フィリピン滞在中はホテルやゲストハウスに泊まることはほとんどなく、他人の家に居候することが多かった。そのうちの1軒になんとウォシュレットがあった。1991年、私がはじめてフィリピンを訪れた18歳のときのことである。
そのお宅で便意を催してトイレをお借りした。そして、用を足したあと、トイレットペーパーがないことに気づいた。初めて訪れたお宅で「トイレットペーパーがありませ~ん」とは叫べない。困った、困ったとトイレ内をキョロキョロしていたところ、便座の脇に見慣れぬレバーのようなものを見つけた。これはもしかしてと思って、そのレバーを動かしてみると、やっぱり。ニョキっとノズルが出てきた。もちろん、手動である。そして、ノズルをポイント下まで動かし、レバーをひねると、めでたく水が噴き出てきた。これがウォシュレット初体験の瞬間である。これで出口はきれいさっぱり。あとは、ザルでそばの水気を切る要領で、お尻をふりふり水気を切って、トイレでの一大イベントは終了した。
ところで、このお宅のご夫妻はスラムの生活改善に取り組んでおり、スラムに住む子どもたちのためにデイケアセンターをつくったとのこと。早速、その活動を拝見させていただくことにした。そして、スラムを訪れたときのことである。また、便意を催したのである。
幸い、デイケアセンターにはトイレが完備されていた。しかも、日の光がしっかり入るようになっていたため、とても明るい。用を終えるころには私の心まで明るくなっていた。しかし、またである。トイレットペーパーがない。「トイレットペーパーがありませ~ん」と叫ぶわけにもいかない。
トイレにはバケツ一杯に水が張られ、手桶が置かれていた。これが何を隠そう、もうひとつのウォシュレットである。これがフィリピンではごく一般的で、都市部を除けば、大半がこれである。
さて、おしりの洗浄のため、手桶で水をすくうところまではわかる。しかし、その先どうすればよいのか、初心者の私には皆目見当がつかない。おしりの下からポイントをめがけて、手桶の水を手でピシャピシャかければよいのか。そんなことをしても、汚れが落ちるはずはない。服だって濡れてしまう。結局、いろいろ考えた挙句、仕方なくハンカチでおしりをぬぐって、その場を後にした。そのハンカチをどうしたかはよく覚えていない。
正しい方法はこうである。まず、膝を曲げ気味に、おしりを突き上げる。膝を曲げて、馬跳びの馬になるような感じである。次に、水の入った手桶を尾骨の高さまで持ち上げる。イメージとしては、リレーのバトンを受け取るときのような姿勢である。手桶の水が多いと、水をこぼす危険があるので要注意。そして、手桶のふちが尾骨にギリギリ触れない位置から水を流す。水が出口に到達しなければ、おしりの突き上げ方が甘いので、もう少しおしりを上方に。ただし、おしりの位置が高すぎると、おしりを流した水が勢いよく便器に流れ落ちるため、はね返りで足元を汚しかねない。これにも注意が必要である。最後に、汚れをしっかり落としたければ、水を流すだけの「初期洗浄」が終わったところで、水を流しながらもう一方の手で出口を軽くさするとよい。この儀式、皆さんにはまずお風呂場で試してもらいたい。
フィリピンでの話をもう少し続けよう。フィリピンにもいわゆる和式と洋式の便器がある。和式(比式というべきか)は日本と同じ、しゃがみ込むタイプである。洋式も形はほぼ同じである。しかし、洋式は多くの場合、便座がついていない。日本では男性が小のときだけ、便座を上げる。あの状態で大を(女性は小も)するということである。
これにも頭を悩ませた。洋式の便器に直接座るべきか。ちなみに、日本の便器のふちは便座を乗せるため、平らで幅がある。しかし、フィリピンの便器は便座を乗せることがないためか、丸みを帯びて幅はそれほどない。日本の便器のように返しがないので、清潔感はあるといえばある。ただ、これにおしりをつけるのにはやはり抵抗がある。それでは、どうするか。そうである。中腰をキープして、用を足すのである。
これにもコツがある。ご想像のとおり、中腰で用を足すので、高めの位置から塊が、それは液状のこともあるが、落下する。そのため、汚水のはね返りを浴びかねない。そこで、はね返りを極力抑えるため、水面と便器の接点に照準を合わせて落下させるのである。できれば水面の手前側がよい。汚水がはねても、後方にはねるため、汚れずに済むからである。
中腰で用を足すのはつらい。とくに長期戦にもつれ込んだときは、太ももが張り、膝がガクガクしてくる。持久力、忍耐力が試される。ここは修行僧のようにただただ耐えるしかない。しかし、人間にも限界がある。
あるとき、もうどうしようもなくなって、敗北感とともに便器に着座した。着座を決意した瞬間は涙が出る思いでも、いざ着座してみると、便器のふちの丸みがおしりに優しいことに気が付いた。日本の便器のようにふちが平らだとベタベタするような気がするが、それがないのである。そして、太ももの緊張感が一気に溶けた。敗北感から一転、こころのなかで勝利の雄叫びを上げた。それ以来、私は長期戦が予想される場合は躊躇なく便器に座るようになった。ただし、座る前に便器を水でひと回しする。これでなんとなく、便器がきれいにみえてくる。
男性はこの先、注意を要する。先ほど、便器のふちに返しがないと伝えたが、このふちがないために、小をする際、勢いがよいと、アユが川を遡上するように、小水が便器を遡上し、下したズボンや下着を濡らしかねない。そのような事態を避けるためには、下品で大変恐縮だが、蛇口を下げる必要がある。ただ、便器のふちの高さと便器のスライダーになっている部分との距離がかなり近いため、蛇口と便器の接触事故が起きかねない。あらかじめ蛇口を下げて着座するなど、工夫が必要である。
その点、和式の便器では問題にならない。ただ、はね返りを浴びる可能性は洋式よりも高いのが難点である。また、和式での長期戦では立ちくらみに要注意。これは万国共通である。
このようにトイレではさまざまなドラマが繰り広げられている。頭を悩ますことは多々あったが、トイレほど旅を刺激的にしてくれるものはない。
(2017年9月)
0コメント