コロナ禍の自由研究

2020年3月、ドタバタとインドネシアへ出張した(その顛末は「久しぶりの海外出張 ~相変わらず「いい加減」が楽しい~」を参照)。現地にもう数日滞在していたら、帰国できなくなっていたかもしれなかったが、無事帰国することができた。と思っていたのも束の間、私が所属する医学医療系の長(医学部・医学系研究科長に相当)から「インドネシアへ出張していましたよね。1か月間、自宅待機する必要がありますよ」と連絡があり、あえなく在宅勤務となった。その後も在宅勤務が推奨され、在宅の日々が続いた。


私は実験室で研究をしているわけではないので、個人情報を扱う仕事以外であれば、場所を選ばす仕事ができる。出退勤の途中で、ふと思いついたり閃いたりすれば、公園や駅のベンチでパソコンを開き、メモをとったり論文を書いたり、それが1、2時間続くというようなことは新型コロナの感染拡大前でもときおりあった。そのおかげもあって、在宅勤務でも研究にそれほど支障はなかった。陽気がよいときは、自宅のベランダや公園で長時間を過ごした。


コロナ禍で進んだ「働き方改革」でもっとも助かったことは、会議のオンライン化である。私が勤務する大学は組織が複雑に入り組んでいることもあり、会議が多い。そのため、オンライン化によって移動時間がなくなったのは衝撃的でさえある。実は私の研究室がある建物はキャンパス内の医学地区から少し離れており、医学地区の会議室までdoor-to-doorで徒歩だと15分、自転車でも10分は見込んでおく必要がある。それでも会議室に到着するのは開始時間ギリギリ。1日に医学地区で会議が3つあるときは、往復するだけで1時間半、路上を右往左往することになる。それはそれで運動になってよいが、雨の日は大変である。


会議のオンライン化で日程調整が楽になったのも大きなメリットである。これまでは、たとえば10時から11時まで会議があれば、11時から会議の予定を入れることはできなかった。しかし、オンラインだと移動の必要がないので、それが可能である。また、出張中でも会議に出席できる。まあ、それがよいかは別として、その結果、出席率も向上した。


そんなことを事務職員に話したら、事務サイドでは会議の配布資料の準備が楽になったとのこと。これまでは大量の資料をコピーしたり、それでは紙の無駄なので、資料を取り込んだiPadを机上に配布したりしていて、それが大変だったらしい。それが今や資料のPDFをTeamsにアップしておけば、それでよし。業務量は雲泥の差である。私としてもPDFの保管は楽で、必要なときに簡単に参照できて助かる。紙の束で埋め尽くされた保管庫はもう必要ない。会議によっては絶対に対面でなければならないこともあるが、それ以外の会議は今後もオンラインでよい。


感染拡大の終息が見えないなか、「働き方改革」の恩恵を受けてきたが、海外での研究活動が停滞してしまったことには大きなフラストレーションを感じ、私の体は有り余ったエネルギーで膨張していた。というのは、ちょっとおおげさで、実際に膨張していたのは腹囲だった。そんななか、第31回日本疫学会学術総会にオンラインで参加し、シンポジウム「新型コロナウイルスが変えた社会 タバコ対策の視点から」でT先生の講演に心地よい刺激を受けた。講演内容は詳しく覚えていないが、私も何かしなければ・・・と心を揺さぶられたのである。


海外での研究活動はしばらく再開できそうもないのだから、いつもの研究テーマから離れて、自由研究も悪くないか、と思った私は講演を振り返った。講演で学んだことは、日本が加熱式たばこ市場のターゲットになっていること、コロナ禍で喫煙者の喫煙量が増え、加熱式たばこに切り替えた喫煙者において禁煙が進んでいないこと。そこで、私はたばこ産業の広告戦略ににらみを利かせた。たばこ広告に何か秘密が隠されていないか、と。


研究の対象が人ではなく広告であれば、倫理審査の必要はない。広告のデータさえあれば、研究はすぐにでもはじめることができる。しかし、その肝心のデータをどのように集めればよいのか。しかも、研究費はない。そこで大いに頭を悩ますはずだった。が、インターネットで検索したところ、間もなく、新聞・雑誌広告の出稿量やその内容に関するデータベースをつくって、データを提供したり分析したりする会社があることがわかった。


私は早速、会社のウェブサイトが明瞭なM社に電話した。2021年1月29日午前のことである。シンポジウムはその前日の午後にあったので、当時の私はよほどエネルギーが有り余っていたのか、それとも単なるせっかちか。私はM社に研究の目的や意義、必要なデータについてメールで追加説明したうえで、臆面もなく、学術目的のためデータを無償でご提供ください、とお願いした。すると、その3日後(2月1日)、なんとデータが届いた。


私はM社のご厚意に心より感謝し、感謝の気持ちを形にすべく、ご提供いただいたデータを以下の2編にまとめた。1編目は2月9日、2編目は2月11日までに執筆し、M社にお送りした。もちろん、学術誌にも投稿した。


Intensified advertising of heated tobacco products in Japan: an apparent shift in marketing strategy. Tob Control. 2023 Jan;32(1):130. doi: 10.1136/tobaccocontrol-2021-056615. Epub 2021 May 24.


Tobacco advertising during the COVID-19 pandemic in Japan. J Epidemiol. 2021 Jul 5;31(7):451-452. doi: 10.2188/jea.JE20210151. Epub 2021 Apr 23.


1編目ではタイトルの通り、たばこ広告の宣伝内容が紙巻きたばこから加熱式たばこに置き換わったこと、2編目ではコロナ禍においてステイホームが推奨されるなか、たばこ広告の総面積、またその全広告に占める割合も増えていたことを指摘。ここではその議論に踏み込まないが、たばこ産業の広告戦略を垣間見た。


2021年4月、新しい年度に入っても、海外での研究再開のめどは立たない。私のエネルギーは、いや、腹囲はますます膨張するばかり。そのエネルギーを発散すべく、今度は公開データをもとに以下の2編を執筆した。


Are tobacco prices in Japan appropriate? an old but still relevant question. J Epidemiol. 2022 Jan 5;32(1):57-59. doi: 10.2188/jea.JE20210416. Epub 2021 Nov 25.


Japan's position in the global standard to ban tobacco advertising in the media. J Epidemiol. 2022 Jul 5;32(7):354-356. doi: 10.2188/jea.JE20220074. Epub 2022 May 21.


1編目は、日本で2018年から2021年にたばこ税の増税があったため、それに絡めて、日本のたばこの価格は適正かを問うたもの。日本では、たばこの値段が一人当たりのGDPに比して極めて安く、OECD諸国の中で2番目に安い(1番目は一人当たりのGDPが飛びぬけて高いルクセンブルク)。


2編目は、2022年2月にスイスが国民投票でたばこ広告の全面禁止を決めたことに絡めて、日本のたばこ広告規制が世界的にどれだけ遅れているかを示したもの。説明するのが嫌になるくらい、ずば抜けて遅れている。


これまで紹介した4編のうち、Tobacco Control誌に掲載された1編はResearch Letter、それ以外はLetter to the Editorなので、それぞれのテーマについてデータに基づき論じているものの、原著論文ではない。したがって、研究業績として評価してもらえるものでもない。それでも、Letterを執筆したのは、エネルギーを発散するため、いや、それもあったが、日本の実態を世界へ知らしめるため、そして、たばこ研究者を応援するためでもあった。


たばこ研究者を応援するとは、こういうことである。学術論文を書くとき、論文の緒言(Introduction)で研究の背景や意義について説明する必要がある。そこで欠かせないのが文献の引用。科学論文では些細な説明でもその根拠を示す必要があるため、引用の連続となる。もちろん、引用といっても文献の記述を書き写す(コピペする)という意味ではなく、説明の真偽を確認することができる情報源を示すということである。たとえば、「日本では他国と比べて、たばこ価格は安く、たばこ広告の規制が不十分である」と説明する場合、たったそれだけでも、それぞれの根拠を示す必要がある。根拠がなければ、そのような説明はできない。したがって、Letterでも根拠になるものがあると大いに助かる。というのが私の考えで、「応援する」という意味である。ちなみに、Letterは学術誌に掲載されるものなので、査読を経て掲載されている。


そういえば、コロナ禍の自由研究で思い出した!


今から20年前の2003年、中国、香港、台湾、シンガポールを中心に重症急性呼吸器症候群(SARS)が世界的に流行した。そのときにも(2年遅れで)以下のLetterを書いていた。その頃もエネルギーが有り余っていたのかもしれない。


Lowered tuberculosis notifications and deterred health care seeking during the SARS epidemic in Hong Kong. Am J Public Health. 2005 Jun;95(6):933-4. doi: 10.2105/AJPH.2004.046763.


この自由研究は、香港でSARS流行期に受診控えが起きていたかもしれないと指摘したもの。Am J Public Healthの目次に目を通していたら、台湾の研究(「全民健康保険」のデータをもとに分割時系列分析でSARS流行期の受診控えを示した原著論文)に目が留まり、同じことが他国でも起きているかもしれないという素朴な疑問に答えるために行った自由研究である。


さて、香港に共同研究者がいるわけではないのに、なぜできたのか。答えは簡単。香港保健省のウェブサイトに法廷感染症の報告数が掲載されていることを突き止めたから。そして、こちらのほうが大事かもしれない。人びとの受療行動が法廷感染症の報告数にある程度反映されるだろうと思いついたから。研究としては粗削りだが、お金がかからない自由研究として楽しむ分には悪くないだろう。


2023年5月から新型コロナの感染症法上の位置づけが2類相当から5類に引き下げられた。コロナ禍は過去の言葉になりつつある。


(2023年5月)

Global Public Health

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