B級テーブルマナーはあなどれない
レストランで頭を悩ませるのがテーブルマナーである。とくに普段行きつけない高級レストランでは、粗相があってはならぬと自ずと気合が入る。しかし、それは外見だけで、どことなく無口になるのは気合負けの証拠である。事実、テーブル上に行儀正しく並んだナイフとフォークの数に圧倒されている。それでも気を落ち着かせて、ピラミッドよろしくそびえ立つナプキンに手を掛ける。が、ナプキンを全部広げるべきか、半分に折るべきか。半分に折るにしても、三角がいいのか四角がいいのか。咳払いをしながらスローモーションでナプキンを開き、周囲の素振りをチラ見して、同じように膝の上、いや太ももの上に置く。そして、ほっと一息。
と思ったら、次なる試練は容赦なくやってくる。それは飲み物の注文である。神妙な顔つきでワインリストを開くと、視線はいやおうなくワインの値段に向かう。傍らではソムリエが親切にワインの産地や味わいを説明してくれている。こちらは上の空である。一番安いワインでは格好悪いので2番目にするか、見栄を張って3番目にするか。そんなケチな算段で頭がいっぱいである。そして、自信を持って2番目に安いワインを注文する。すると、ソムリエに「最初からフルボディは重すぎませんか」と指摘される。こちらは「そ、そうですね」と答えるのが精いっぱいで、脇の下は洪水状態である。
昔話はさておき。テーブルマナーが必要とされるのは高級レストランばかりではない。B級レストランでも欠かせない。B級レストランといってもピンきりで、屋台から大衆食堂までさまざまである。屋台はB級レストランといえるかどうかは微妙なところであるが、大きな違いは屋内かどうかで、その中身はあまり変わらない。必要とされるテーブルマナーも共通している。そこで、私がこれまで東南アジアで学んだB級テーブルマナーを2つ紹介したい。東南アジアを旅する人にはおなじみの光景である。
まず、給仕係の店員が持ってきてくれた皿、スプーン、フォークをナプキンで入念に拭く。これが正しいテーブルマナーである。ナプキンといっても、トイレットペーパーだったりすることもあるが、そんなことは構わない。とにかくゴシゴシ拭きまくる。まるで食器が汚いと言っているようである。これが失礼だと思ってはならない。食器をじっくり観察すると、水が切れていないのはよいとしても、油汚れが落ちていなかったり、食べ物がこびりついていたりすることはままある。日本のB級レストランではまずないだろうが、東南アジアでは当たり前である。食器が汚れていると店員に訴えたところで、何の反応もない。言うだけ損である。だから、B級レストランで気持ち良く食事をとるには、客自らが食器をきれいにする。これは鉄則である。
話は少し脱線するが、かつてドイツに友人を訪ねたときのことである。1泊おじゃまをしたので、夕食後の食器洗いを手伝った。日本と同じく、食器は食器用洗剤でていねいに洗う。そして、泡だらけの食器を水で流す。と思いきや、泡を水で流さない。ふきんで拭き取るのだ。これまで東南アジアでカルチャーショックらしい経験はしてこなかったが、これこそカルチャーショックだった。帰国後、このことをオーストラリアでホームステイしたことがある友人に話したところ、全く同じ経験をしたとのこと。もっとも、見た目はきれいだし、臭いもしないので、食事に支障はない。
一方、私がかつて滞在させてもらっていたフィリピンの村では、食器洗いになんと洗濯用の固形洗剤を使っていた。幸い泡は水で流していたが、プラスチック製の食器には洗濯用洗剤の強い臭いが浸み込んでとれない。そのため、いやおうなしに洗剤風味のごはんを食すことになった。これには本当に閉口した。いや、閉口どころではない。数日間は息を止めてなんとか食べていたが、鼻から漏れる息は明らかに洗剤臭だった。家の主は、息を止めてごはんを食べる風変わりな私をみて、バナナの葉っぱを皿代わりにしてくれた。これなら食器洗いをしなくてもよいし、なんとも風情がある。気持ち良く食事をとるには、なんといっても食器が大事なのである。
さて、次のテーブルマナーは支払い時の注文明細チェックである。もっとも明細が示されないB級レストランもあるが、お勘定を頼むと注文の明細と金額が書いてある注文書をテーブルまでもってきてくれることが多い。その内容を入念にチェックするのである。しかも、店員の前で平然とチェックする。この場面は気弱な私にとって非常に居心地が悪い。まるでぼったくりを疑っているようである。しかし、店員はといえば憮然とすることもない。その様子に私はただ呆然とするしかなかった。
しかし、明細をチェックするのは人間の性質を考えたら、当然すべきことなのかもしれない。というのも、人間は誰でもミスを犯す。注文の記載ミスや計算ミスは、その確率が低いとはいえ起こりうる。合計金額の算出には計算機を使っていても、打ち間違いは誰にでもある。そのようなミスを防ぐのに、客が明細をダブルチェックする。これは合理的である。
ところで、日本のレストランでは手書きで注文をとることがめっきり減った。スーパーではバーコードを読み取るだけで、レジ打ちは今や珍しい。電子化されているので計算ミスなど到底起こりえない。私はそう思い込んでいたのであるが、これは大きな間違いであった。
先日、しょうゆが切れたので、スーパーへ買いに行った。わが家では薄口しょうゆを多用している。薄口しょうゆのなかでも、「ひがしまる」というメーカーのそれである。関東では濃口しょうゆを使うことが多いため、スーパーの調味料コーナーでは薄口しょうゆの存在感はまさに薄い。しかも、毎日の料理で大活躍するのに、小さいボトルで売られていることが多い。
ところが、その薄口しょうゆが大きなボトルで売られていた。しかも「特選」である。早速、頭の中で計算がはじまった。通常のものと比べて、特選はどれくらい高いのか。大きなボトル同士で値段が比べられれば、訳はない。しかし、通常の薄口しょうゆは小さなボトル、特選は大きなボトルだから、計算が面倒くさい。しかも、小さなボトルは大きなボトルと比べ高めなので、そのことも加味しなくてはならない。まあ、計算するまでもなく、数十円しか変わらないし、たまには贅沢もいいだろうと特選薄口しょうゆを買い物かごに収めた。そして、ビールなどと一緒に会計を済ませた。
私は食料品のレシートに限ってはたいていスーパーのゴミ箱に捨てて帰る。しかし、そのときだけは会計金額に違和感を覚え、なんとなくレシートを財布に忍び込ませた。どうせ自分の勘違いだろうと思っていたのに、レシートをとっておくのは野性の勘というべきか、単なるケチか。
数日後、再びスーパーを訪れた。そのとき、特選薄口しょうゆが目に入り、財布の中で眠っているレシートの存在を思い出した。そうだ、自分の勘はあっていたのだろうか。無性に確認したくなった。突然、研究者魂に火がついた。
そんな言い訳、誰が信じるだろうか。どんな言い訳をしようとケチはケチである。しかし、ケチでよかった。私の勘は間違っていなかった。なんと50円も多く支払っていた。たかが50円と思われるかもしれないが、特選薄口しょうゆが1000本売れれば、5万円の差額。これは消費者とスーパーとの信用にかかわる。私はそこで、愛する地元密着型のスーパーのため、レジ係のおばちゃんにこっそり表示金額と会計金額が異なることを伝えた。そして、どうでもよかったのだが、50円が返金された。
さあ、この予期せぬ臨時収入をどうするか。気が大きくなった私は研究室に居合わせた学生7人に寿司屋でご馳走した(というか、学生に誘われ、私が会計をした)。50円はその時の会計の消費税分にもならなかったが、まあいい。みんなの笑顔がたまらない。B級テーブルマナーに感謝である。
(2017年3月)
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