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病院外心肺停止の発生場所とAEDの設置場所からAEDの適正配置を考える

緒言 病院外心肺停止(Out-of-Hospital Cardiac Arrest:OHCA)の救命にはバイスタンダー(その場に居合わせた人)による早期の心肺蘇生が有効であり、2004年7月からバイスタンダーによる自動体外式除細動器(Automated External Defibrillator: AED)の使用が可能となったが(バイスタンダーがAEDを使用する行為をPublic Access Defibrillation: PADという)、2014年度中のPAD実施率は1.3%に留まっている。PAD実施率が低い理由として、OHCAの多くはAEDがない住宅で発生していること、既存のAEDは夜間・休日に使用できないことなどが指摘されている。これらの問題に対し、AEDへのアクセスを改善するため、24時間使用可能で場所の認知度が高いコンビニエンスストアにAEDを設置する自治体が増えているが、適正な配置といえるかどうかは不明である。目的 OHCAの発生場所、AEDの設置場所をデジタルマップ上にポイントデータ化し、コンビニエンスストアにAEDを設置することでどの程度バイスタンダーのAEDへのアクセスを改善し得るのかを地理情報システムを用いて検証すること。方法 本研究は埼玉県三郷市の既存データを用いた横断研究である。対象症例は2013年1月1日0時00分から2015年12月31日23時59分までの間に三郷市消防本部へ通報があり、救急隊によって医療機関へ搬送された393件。設置された各AEDを中心に、3分で往復可能な距離とされる半径150mの円形範囲(至適範囲)を設定し至適範囲内で発生したOHCAの件数と割合を算出し、コンビニエンスストアにAEDが設置されている場合と設置されていない場合で、発生場所ごとに時間帯別、曜日別に比較行う。研究実施者1. 市川 政雄(筑波大学医学医療系)2. 橋本 幸一(筑波大学医学医療系)3. 藤江 敬子(筑波大学医学医療系)4. 堀 愛  (筑波大学医学医療系)5. 高山 祐輔(筑波大学大学院人間総合科学研究科)問い合わせ先筑波大学大学院人間総合科学研究科国際社会医学研究室高山 祐輔E-mail:takayama54200@gmail.com

トイレの中心で頭を悩ませる

アジアへ出かけるようになってから、しばらくトイレにはまった。はまったといっても、そのはまったではない。関心をもった、ということである。トイレは私たちの生活と切っても切れない関係にある。だから、その様式の違いが実に面白い。今や私たちの生活に欠かせないウォシュレット。私のウォシュレット初体験の場所は、実は日本ではない。フィリピンである。しかも、2種類のウォシュレットを体験してしまった。学生時代、上総掘りという日本古来の井戸掘り技術で井戸を掘る活動のため、年に2,3回フィリピンを訪問していた。その活動に注力するため、大学2年を終えた二十歳の年には大学を休学した。数年前に東大がはじめたギャップイヤーみたいなものである。東大では「初年次長期自主活動プログラム」といって、少し長いが引用すると「入学した直後の学部学生が、自ら申請して1年間の特別休学期間を取得したうえで、自らの選択に基づき、東京大学以外の場において、ボランティア活動や就業体験活動、国際交流活動など、長期間にわたる社会体験活動を行い、そのことを通じて自らを成長させる、自己教育のための仕組み」を導入しているらしい。今から思えば、学生時代は春と夏に2か月以上の長い休みがあったので、ギャップイヤーならぬ、ギャップマンスの連続だったといえる。私の場合はそれに加え、記念すべき成人1年目をギャップイヤーとして堪能したというわけである。前置きが長くなったが、フィリピン滞在中はホテルやゲストハウスに泊まることはほとんどなく、他人の家に居候することが多かった。そのうちの1軒になんとウォシュレットがあった。1991年、私がはじめてフィリピンを訪れた18歳のときのことである。そのお宅で便意を催してトイレをお借りした。そして、用を足したあと、トイレットペーパーがないことに気づいた。初めて訪れたお宅で「トイレットペーパーがありませ~ん」とは叫べない。困った、困ったとトイレ内をキョロキョロしていたところ、便座の脇に見慣れぬレバーのようなものを見つけた。これはもしかしてと思って、そのレバーを動かしてみると、やっぱり。ニョキっとノズルが出てきた。もちろん、手動である。そして、ノズルをポイント下まで動かし、レバーをひねると、めでたく水が噴き出てきた。これがウォシュレット初体験の瞬間である。これで出口はきれいさっぱり。あとは、ザルでそばの水気を切る要領で、お尻をふりふり水気を切って、トイレでの一大イベントは終了した。ところで、このお宅のご夫妻はスラムの生活改善に取り組んでおり、スラムに住む子どもたちのためにデイケアセンターをつくったとのこと。早速、その活動を拝見させていただくことにした。そして、スラムを訪れたときのことである。また、便意を催したのである。幸い、デイケアセンターにはトイレが完備されていた。しかも、日の光がしっかり入るようになっていたため、とても明るい。用を終えるころには私の心まで明るくなっていた。しかし、またである。トイレットペーパーがない。「トイレットペーパーがありませ~ん」と叫ぶわけにもいかない。トイレにはバケツ一杯に水が張られ、手桶が置かれていた。これが何を隠そう、もうひとつのウォシュレットである。これがフィリピンではごく一般的で、都市部を除けば、大半がこれである。さて、おしりの洗浄のため、手桶で水をすくうところまではわかる。しかし、その先どうすればよいのか、初心者の私には皆目見当がつかない。おしりの下からポイントをめがけて、手桶の水を手でピシャピシャかければよいのか。そんなことをしても、汚れが落ちるはずはない。服だって濡れてしまう。結局、いろいろ考えた挙句、仕方なくハンカチでおしりをぬぐって、その場を後にした。そのハンカチをどうしたかはよく覚えていない。正しい方法はこうである。まず、膝を曲げ気味に、おしりを突き上げる。膝を曲げて、馬跳びの馬になるような感じである。次に、水の入った手桶を尾骨の高さまで持ち上げる。イメージとしては、リレーのバトンを受け取るときのような姿勢である。手桶の水が多いと、水をこぼす危険があるので要注意。そして、手桶のふちが尾骨にギリギリ触れない位置から水を流す。水が出口に到達しなければ、おしりの突き上げ方が甘いので、もう少しおしりを上方に。ただし、おしりの位置が高すぎると、おしりを流した水が勢いよく便器に流れ落ちるため、はね返りで足元を汚しかねない。これにも注意が必要である。最後に、汚れをしっかり落としたければ、水を流すだけの「初期洗浄」が終わったところで、水を流しながらもう一方の手で出口を軽くさするとよい。この儀式、皆さんにはまずお風呂場で試してもらいたい。フィリピンでの話をもう少し続けよう。フィリピンにもいわゆる和式と洋式の便器がある。和式(比式というべきか)は日本と同じ、しゃがみ込むタイプである。洋式も形はほぼ同じである。しかし、洋式は多くの場合、便座がついていない。日本では男性が小のときだけ、便座を上げる。あの状態で大を(女性は小も)するということである。これにも頭を悩ませた。洋式の便器に直接座るべきか。ちなみに、日本の便器のふちは便座を乗せるため、平らで幅がある。しかし、フィリピンの便器は便座を乗せることがないためか、丸みを帯びて幅はそれほどない。日本の便器のように返しがないので、清潔感はあるといえばある。ただ、これにおしりをつけるのにはやはり抵抗がある。それでは、どうするか。そうである。中腰をキープして、用を足すのである。これにもコツがある。ご想像のとおり、中腰で用を足すので、高めの位置から塊が、それは液状のこともあるが、落下する。そのため、汚水のはね返りを浴びかねない。そこで、はね返りを極力抑えるため、水面と便器の接点に照準を合わせて落下させるのである。できれば水面の手前側がよい。汚水がはねても、後方にはねるため、汚れずに済むからである。中腰で用を足すのはつらい。とくに長期戦にもつれ込んだときは、太ももが張り、膝がガクガクしてくる。持久力、忍耐力が試される。ここは修行僧のようにただただ耐えるしかない。しかし、人間にも限界がある。あるとき、もうどうしようもなくなって、敗北感とともに便器に着座した。着座を決意した瞬間は涙が出る思いでも、いざ着座してみると、便器のふちの丸みがおしりに優しいことに気が付いた。日本の便器のようにふちが平らだとベタベタするような気がするが、それがないのである。そして、太ももの緊張感が一気に溶けた。敗北感から一転、こころのなかで勝利の雄叫びを上げた。それ以来、私は長期戦が予想される場合は躊躇なく便器に座るようになった。ただし、座る前に便器を水でひと回しする。これでなんとなく、便器がきれいにみえてくる。男性はこの先、注意を要する。先ほど、便器のふちに返しがないと伝えたが、このふちがないために、小をする際、勢いがよいと、アユが川を遡上するように、小水が便器を遡上し、下したズボンや下着を濡らしかねない。そのような事態を避けるためには、下品で大変恐縮だが、蛇口を下げる必要がある。ただ、便器のふちの高さと便器のスライダーになっている部分との距離がかなり近いため、蛇口と便器の接触事故が起きかねない。あらかじめ蛇口を下げて着座するなど、工夫が必要である。その点、和式の便器では問題にならない。ただ、はね返りを浴びる可能性は洋式よりも高いのが難点である。また、和式での長期戦では立ちくらみに要注意。これは万国共通である。このようにトイレではさまざまなドラマが繰り広げられている。頭を悩ますことは多々あったが、トイレほど旅を刺激的にしてくれるものはない。(2017年9月)

B級テーブルマナーはあなどれない

レストランで頭を悩ませるのがテーブルマナーである。とくに普段行きつけない高級レストランでは、粗相があってはならぬと自ずと気合が入る。しかし、それは外見だけで、どことなく無口になるのは気合負けの証拠である。事実、テーブル上に行儀正しく並んだナイフとフォークの数に圧倒されている。それでも気を落ち着かせて、ピラミッドよろしくそびえ立つナプキンに手を掛ける。が、ナプキンを全部広げるべきか、半分に折るべきか。半分に折るにしても、三角がいいのか四角がいいのか。咳払いをしながらスローモーションでナプキンを開き、周囲の素振りをチラ見して、同じように膝の上、いや太ももの上に置く。そして、ほっと一息。と思ったら、次なる試練は容赦なくやってくる。それは飲み物の注文である。神妙な顔つきでワインリストを開くと、視線はいやおうなくワインの値段に向かう。傍らではソムリエが親切にワインの産地や味わいを説明してくれている。こちらは上の空である。一番安いワインでは格好悪いので2番目にするか、見栄を張って3番目にするか。そんなケチな算段で頭がいっぱいである。そして、自信を持って2番目に安いワインを注文する。すると、ソムリエに「最初からフルボディは重すぎませんか」と指摘される。こちらは「そ、そうですね」と答えるのが精いっぱいで、脇の下は洪水状態である。昔話はさておき。テーブルマナーが必要とされるのは高級レストランばかりではない。B級レストランでも欠かせない。B級レストランといってもピンきりで、屋台から大衆食堂までさまざまである。屋台はB級レストランといえるかどうかは微妙なところであるが、大きな違いは屋内かどうかで、その中身はあまり変わらない。必要とされるテーブルマナーも共通している。そこで、私がこれまで東南アジアで学んだB級テーブルマナーを2つ紹介したい。東南アジアを旅する人にはおなじみの光景である。まず、給仕係の店員が持ってきてくれた皿、スプーン、フォークをナプキンで入念に拭く。これが正しいテーブルマナーである。ナプキンといっても、トイレットペーパーだったりすることもあるが、そんなことは構わない。とにかくゴシゴシ拭きまくる。まるで食器が汚いと言っているようである。これが失礼だと思ってはならない。食器をじっくり観察すると、水が切れていないのはよいとしても、油汚れが落ちていなかったり、食べ物がこびりついていたりすることはままある。日本のB級レストランではまずないだろうが、東南アジアでは当たり前である。食器が汚れていると店員に訴えたところで、何の反応もない。言うだけ損である。だから、B級レストランで気持ち良く食事をとるには、客自らが食器をきれいにする。これは鉄則である。話は少し脱線するが、かつてドイツに友人を訪ねたときのことである。1泊おじゃまをしたので、夕食後の食器洗いを手伝った。日本と同じく、食器は食器用洗剤でていねいに洗う。そして、泡だらけの食器を水で流す。と思いきや、泡を水で流さない。ふきんで拭き取るのだ。これまで東南アジアでカルチャーショックらしい経験はしてこなかったが、これこそカルチャーショックだった。帰国後、このことをオーストラリアでホームステイしたことがある友人に話したところ、全く同じ経験をしたとのこと。もっとも、見た目はきれいだし、臭いもしないので、食事に支障はない。一方、私がかつて滞在させてもらっていたフィリピンの村では、食器洗いになんと洗濯用の固形洗剤を使っていた。幸い泡は水で流していたが、プラスチック製の食器には洗濯用洗剤の強い臭いが浸み込んでとれない。そのため、いやおうなしに洗剤風味のごはんを食すことになった。これには本当に閉口した。いや、閉口どころではない。数日間は息を止めてなんとか食べていたが、鼻から漏れる息は明らかに洗剤臭だった。家の主は、息を止めてごはんを食べる風変わりな私をみて、バナナの葉っぱを皿代わりにしてくれた。これなら食器洗いをしなくてもよいし、なんとも風情がある。気持ち良く食事をとるには、なんといっても食器が大事なのである。さて、次のテーブルマナーは支払い時の注文明細チェックである。もっとも明細が示されないB級レストランもあるが、お勘定を頼むと注文の明細と金額が書いてある注文書をテーブルまでもってきてくれることが多い。その内容を入念にチェックするのである。しかも、店員の前で平然とチェックする。この場面は気弱な私にとって非常に居心地が悪い。まるでぼったくりを疑っているようである。しかし、店員はといえば憮然とすることもない。その様子に私はただ呆然とするしかなかった。しかし、明細をチェックするのは人間の性質を考えたら、当然すべきことなのかもしれない。というのも、人間は誰でもミスを犯す。注文の記載ミスや計算ミスは、その確率が低いとはいえ起こりうる。合計金額の算出には計算機を使っていても、打ち間違いは誰にでもある。そのようなミスを防ぐのに、客が明細をダブルチェックする。これは合理的である。ところで、日本のレストランでは手書きで注文をとることがめっきり減った。スーパーではバーコードを読み取るだけで、レジ打ちは今や珍しい。電子化されているので計算ミスなど到底起こりえない。私はそう思い込んでいたのであるが、これは大きな間違いであった。先日、しょうゆが切れたので、スーパーへ買いに行った。わが家では薄口しょうゆを多用している。薄口しょうゆのなかでも、「ひがしまる」というメーカーのそれである。関東では濃口しょうゆを使うことが多いため、スーパーの調味料コーナーでは薄口しょうゆの存在感はまさに薄い。しかも、毎日の料理で大活躍するのに、小さいボトルで売られていることが多い。ところが、その薄口しょうゆが大きなボトルで売られていた。しかも「特選」である。早速、頭の中で計算がはじまった。通常のものと比べて、特選はどれくらい高いのか。大きなボトル同士で値段が比べられれば、訳はない。しかし、通常の薄口しょうゆは小さなボトル、特選は大きなボトルだから、計算が面倒くさい。しかも、小さなボトルは大きなボトルと比べ高めなので、そのことも加味しなくてはならない。まあ、計算するまでもなく、数十円しか変わらないし、たまには贅沢もいいだろうと特選薄口しょうゆを買い物かごに収めた。そして、ビールなどと一緒に会計を済ませた。私は食料品のレシートに限ってはたいていスーパーのゴミ箱に捨てて帰る。しかし、そのときだけは会計金額に違和感を覚え、なんとなくレシートを財布に忍び込ませた。どうせ自分の勘違いだろうと思っていたのに、レシートをとっておくのは野性の勘というべきか、単なるケチか。数日後、再びスーパーを訪れた。そのとき、特選薄口しょうゆが目に入り、財布の中で眠っているレシートの存在を思い出した。そうだ、自分の勘はあっていたのだろうか。無性に確認したくなった。突然、研究者魂に火がついた。そんな言い訳、誰が信じるだろうか。どんな言い訳をしようとケチはケチである。しかし、ケチでよかった。私の勘は間違っていなかった。なんと50円も多く支払っていた。たかが50円と思われるかもしれないが、特選薄口しょうゆが1000本売れれば、5万円の差額。これは消費者とスーパーとの信用にかかわる。私はそこで、愛する地元密着型のスーパーのため、レジ係のおばちゃんにこっそり表示金額と会計金額が異なることを伝えた。そして、どうでもよかったのだが、50円が返金された。さあ、この予期せぬ臨時収入をどうするか。気が大きくなった私は研究室に居合わせた学生7人に寿司屋でご馳走した(というか、学生に誘われ、私が会計をした)。50円はその時の会計の消費税分にもならなかったが、まあいい。みんなの笑顔がたまらない。B級テーブルマナーに感謝である。(2017年3月)

不注意に注意

旅先の宿選びは重要である。旅の目的が仕事であれ遊びであれ、旅の拠点となる宿は快適であるほうがよいに決まっている。とはいえ、高ければよいというわけではない。かといって、目安があるわけでもない。インターネットやガイドブックに記されている評価が当てになることもあれば、当てにならないこともある。要するに、運で決まる。私が最初にラオスへ出張したのは、記憶は定かでないが、確か4年前の2008年。宿のよしあしは運で決まる、というわけで、ラオスに滞在したことのある友人に適当な宿を紹介してもらった。1泊朝食付きで25ドル。その宿はゲストハウスと称していたが、ひげ面で長髪のバックパッカーがたむろするような宿ではなく、日本でいえば民宿や旅館に近い。外観や趣きは日本のそれとまったく異なるのであるが、こじんまりしていて、ファミリーで経営している(であろう)という点で似ている。この宿にはその後何度か宿泊した。しかし、年に2~3回出張するようになり、この宿では失礼になりかねない同伴者と出張することも増えてきた。そこで、現地の大学の先生に紹介してもらった宿、現地で開催された国際会議の案内書に記載されていた宿、インターネットでそれなりに評判がよい宿、そして5つ星ホテルにも泊まってみた。これらのホテルをおおざっぱに価格帯で分けると、50ドル未満の宿、50~100ドルの宿、100ドル以上の宿ということになる。リゾートホテルらしき宿はこれよりももちろん高い。100ドル以上の5つ星ホテルは快適ではある。しかし、大型ホテルだとアットホームな感じがせず、ビジネスマンが多いため、「仕事のために宿泊しているんですよ」という自覚を促され、非日常感を味わうことができない。出張とはそもそもそういうものであるが、仕事はちゃんとするのだから、非日常感を味わうくらいの楽しみは許されてしかるべき。それでは50~100ドルの宿はどうかというと、50ドル未満の宿より部屋がきれいだったり、広かったりするのであるが、その質は100ドル以上のホテルには及ばない。朝食も貧弱だったりする。それなら、50ドル未満の安い宿でいいじゃないか、ということになる。こうしたコスト感覚を貧乏性というのであれば、貧乏性で結構。それが私の素直なコスト感覚である。というわけで、最近定宿にしているのは1泊朝食付きで30ドルの宿である。朝食は7種類のメニューに限られているが、パンだけでなく、お粥や豆料理などバラエティに富む。それに、飲み物は2種類を選ぶことができる。ささやかながら、お得感があってよろしい。私のお気に入りは、スウェーデッシュ・ワッフルのクリーム&タマリンドジャム添え。ワッフルは凸凹のある少し厚めのクレープといった感じで、2枚供される。飲み物も何種類かあるが、私は決まってバナナシェークとコーヒーを注文する。毎日飽きずに同じメニュー。朝食としてはこれで十二分である。朝から食べ放題(ビュッフェ)は体に毒というもの。この宿の最大の魅力は値段に比して、朝食の質が高いところにある。実は部屋も決して悪くない。日本のビジネスホテルと比べたら、1.5倍くらいのスペースはある。エアコンはあるし、シーリングファンも完備されている。エアコン付きの部屋でシーリングファンは珍しい。そして、ほとんど見ないが、テレビもある。冷たいものが飲みたいときに助かる冷蔵庫もある。バスタブはないが、お湯が出るシャワーはあるし、トイレは水洗である。これで30ドル。お値打ちである。しかし、かゆいところに手が届かないところもあるのは否めない。ここ数日、季節の変わり目のせいか、体調を少し崩し、水っぽい鼻水が出るので、たびたび鼻をかむ。そのため、ティッシュペーパーが手放せない。5つ星ホテルであれば、デスク、ベッドサイド、洗面所など、いたるところに花が咲くようにティッシュペーパーが置かれている。いつなんどき、鼻水が落下しそうになっても、手を伸ばせばティッシュペーパーが手に入る。しかし、1泊30ドルの宿ではそういうわけにいかない。トイレからトイレットペーパーをもってきて、小さなデスクに置いておき、鼻水の落下に備える。ちなみに、こちらのトイレットペーパーはやわらかい。エンボス加工までしてある。だから、お尻だけでなく、お鼻にもやさしい。日本の再生紙を利用したトイレットペーパーはしわもなく、きりっとしていて、いかにもお尻との真剣勝負にはもってこい、という紙質であるが、お鼻にはシャープすぎてかなわない。こちらのトイレットペーパーであれば、何度でも鼻をチーンとしたくなる。そのため、トイレットペーパーは鼻水をかむという用途でも消費されていく。鼻水が出る朝はとくに活躍する。今朝もティッシュペーパーのロールが手のひらを何度も転がってみせた。今朝は少し体が冷えた。そのせいで鼻水が出るのかもしれない。そう思って、あたたかいシャワーを浴びた。朝一番のシャワーは実に気持ちよい。気持ちよいので、ついでに用を足した。これまた快便である。今日はなんだかよいことがありそうだ。いったいなんだろう。思いを巡らせ、気が付いた。トイレットペーパーを机に置きっぱなしにしてきてしまった。さあ、どうしよう。中腰で机まで歩いて、トイレットペーパーをとりに行くか。でも、お掃除のおばちゃんが部屋に入ってきたら、お互いに気まずいこと間違いなし。それだけではない。うわさ話が大好きなラオス人。「あの日本人、お尻丸出しで、部屋の中をはいつくばっていた」といううわさは、突風のごとく駆け巡り、従業員一同の知るところになるだろう。せっかくみつけた定宿。それを失うのかと思うと、涙が止まらない。自分の不注意を悔やんでも悔やみきれなかった。皆さんなら、どうするだろうか。実はそう深刻になる必要もなかった。どんな安宿でもお尻洗浄用のミニシャワーだけはトイレわきに備え付けられている。これでトイレットペーパーがなくても、きれいさっぱりお尻をリフレッシュすることができる。洗浄後は・・・感無量だ。濡れたお尻はどうするかって。そのままパンツをはけば、そのうち乾く。ケンカしたって、いずれ仲直りするのと同じである。あまり気にしないでおこう。(2012年7月)

悪気はないから憎めない

タイは「微笑(ほほえみ)の国」といわれる。確かにタイの人たちは愛想がいい。しゃべり方はソフトで、あいさつやお礼をいうときは手を合わせてくる。そうされると強面のお兄ちゃんでさえ印象がよくなる。そんな一面がタイのお国柄としてあまりにも強調されすぎている、と私は思う。タイ人の微笑は、よくいえば「おおらかさ」の表れであるが、悪くいえば「いい加減さ」の塊である。そこになじめないとタイ人と付き合うのはつらい。今回は3泊5日でラオスへ出張。ラオスには、ベトナム経由かタイ経由で行くことができる。ベトナム経由だと、ハノイ経由とホーチミン経由の2ルートがあり、ハノイ経由のほうがラオスへ早く到着する。しかし、ハノイ発ビエンチャン(ラオス)行の午後便はラオス航空の機材で運行されているので、できれば遠慮したい。ホーチミン経由の午後便はベトナム航空の機材で運行されるのでよいが、プノンペン(カンボジア)を経由して、ラオスへ向かうため、時間がかかる。いずれの場合でも、成田空港を午前10時に出発するベトナム行の飛行機に乗ることになるので、成田空港には午前8時までに到着しなければならない。朝早いのはつらい。その点、成田発バンコク(タイ)行には正午発の便があるため、成田空港には午前10時までに行けばよい。この2時間の差は大きい。というわけで、タイ経由でラオスへ向かった。バンコク到着は4時半。日本時間では6時半なので、小腹がすく。乗り継ぎ時間はたっぷりと3時間もあるので、いつもラーメンを食べる。これは、機内で飲んだあとのシメでもある。空港の行きつけのレストランでは、あいかわらずボディコン(死語か?)を着たビア・プロモーター(ビールの売り子)が働いていたが、今回はひとりで入店したためか、「ハイネケンはいかがですか」などといって、ビールを勧められることはなかった。私はいつもの「バーミー・ナーム」を注文した。バーミーは、日本でおなじみの卵と小麦粉でつくられた麺である。英語ではegg noodleである。ナームは水(汁)を意味する。したがって、汁に浸かった麺ということである。なんのことはない、普通のラーメンである。東南アジアではバーミーに加え、クイティアオという米粉でつくられた麺も食される。日本ではベトナムのフォーでよく知られる、あの麺である。私は断然、バーミー派である。クイティアオにはコシがないので、食べた気がしない。いや、おなかはいっぱいになるので、正確には噛んだ気がしないのである。とはいえ、こしあんと粒あんのどちらが好みか、といった程度の話であり、どちらもおいしいに違いない。ラーメンのトッピングには、日本のラーメンではあまりお目にかからないローストダックやフィッシュボール(つみれ)などが選べるが、私のお気に入りはローストポークである。これに揚げワンタン(ただし、皮だけ)、分葱がトッピングされる。数種類の肉が一緒に盛られることもあり、肉だけでなく、幸せな気分も味わえる。待つこと5分。注文品がやってきた。いい香りが漂い、無意識に姿勢が正された。しかし、口元はゆるみ、胃袋はワニの口よりも大きな口を開けて待っているのではないか、というくらい大暴れである。いや、ちょっと待てよ。麺が白い。これはクイティアオではないか。ラーメンを運んできたビア・プロモーターは、なんのためらいもなく、「バーミーは切れているので、クイティアオでいいですか」と。私は当然、「バーミーが食べたい」と主張した。日本人なら、「いいよ、いいよ」となるところかもしれない。そもそも日本ではバーミーがないからといって、勝手にクイティアオを供することはないだろう。「いいよ、いいよ」となるのは、間違えてクイティアオを供されることが前提である。私はバーミーが食べたいのだ。そして、そう主張してから5分もたたないうちに、私の目の前にバーミーが供された。やっぱりあるのではないか。私は、これでいいのだ、とうなずいた。それにしても、このいい加減さは悪気がまったくうかがえないだけに憎むに憎めない。相手に文句を言ったところで、相手に悪気がないのだから、反省するよしもない。憎んだだけ、こちらが不快な思いをするだけである。それなら、反省しなければならない理由を説明すべきか。私はラーメンごときでそんなにエネルギーを浪費したくはない。バーミーが出てこないのであれば、「また来ますね」と笑顔で答えればいい。待望の、といっても10分待って出てきたバーミーを口にした。タイのラーメンはさっぱりしていて、実にうまい。ラーメンのスープはしばらくの間、舌先で踊った。タイならではの先の経験には心を躍らせた。懐かしい、この感覚。そして、そうこうしているうちに、ラオス行の飛行機に搭乗する時間になった。バンコクからラオスの首都・ビエンチャンまでは約1時間の飛行である。出発時間が30分ほど遅れたので、ビエンチャンの空港に着いたのは夜9時半過ぎになった。手荷物しかもってこなかったので、荷物の回転台を素通りし、足早に換金所へ向かった。滞在中の小遣い1万円をラオスの通貨・キップに換金した。これで3日間の飲み代は十分すぎるくらいである。空港から市内へ向かうにはタクシーを利用するしかない。市内までの料金は定額で前払いなので、ぼられることはない。タクシー・カウンターで手続きを済ませ、所定のタクシーに乗り込んだ。タクシー運転手はつたない英語で私に頼みごとをした。「タクシーが少ないので、もうひとり客を乗せてもいいか」と。私はもちろん、こう答えた。「急いでいるから、早く車を出してくれ」と。いい加減さは国境を超える。これに慣れると、やみつきになるので要注意である。(2012年7月)